南三陸町 防災対策庁舎
2013.12.03
先日、震災後から東北に積極的にボランティアに行っている友人のブログを見てみました。
そこでは、こんな記事が。
以下引用。
今朝、初めて被災地を訪れる友人もいたから寄ってみた(南三陸町 防災対策庁舎)。
すると、埼玉県の高校生が大型バス二台で来ており、地元住民の女性が彼らに説明している場面に遭遇した。
被災地に少しでも関心を持ち続けている方であればご存知だと思いますが、この庁舎を取り壊すかどうかで地元はもめています。
職員の方が津波が襲う瞬間まで、街の人に対して逃げるように呼びかけていたストーリーは震災後の有名な話。だから残そうという声があるのも分かる。
ただ、地元の方は次の様に話していた。
「私は残すかどうかについて多くの地元の人に聞きました。この庁舎では、屋上に逃げた45人の方が亡くなっています。亡くなった身内の方々からも話を聞きました。全員が声をそろえていったのが『取り壊したほうがいい。ここで人が死んだんだから。』これが地元の声なの。でも遠くから来る人は残せ、残せと言う。忘れないためにって。でも私たちは毎日この庁舎の前を通り過ぎている。亡くなった方の思い出がある。そんな私たちが忘れるわけがない。」
この話を聞いて、「忘れないために」と、遠方に住んでいる人間が被災地のためにという体で自分たちの都合を押し付けているのかな。
そんな気がしました。
「いつかは見てみたい」
「行ったからには見てみたい」
「また見れるかな」
心のどこかで、自分都合でそんな風に思っていないかな。
自分自身を含めて考えさせられる出来事でした。
k・oda